
みやはら耳鼻咽喉科は
1.ご納得のいただける診療
2.ていねいな診療
3.お待たせしない診療
を実践する、地域に根ざした耳鼻咽喉科医院です。
1.ご納得のいただける診療
自分の家族に受けさせたい治療やサービスを提供することを心がけています。病気の原因を説明し、なぜこの治療が必要なのか、病気が治るまでどれくらいかかるのかなど患者さんのニーズがどこにあるのか常に考えるようにしています。
2.ていねいな診療
言葉だけではなく、目で見てわかるように大画面のモニターを利用した説明をしたり検査結果をデジタル化してわかりやすいようにする努力をしています。また、言葉を補う意味で病気や治療についてのカラーの説明用紙もお渡ししたりしています。
3.お待たせしない診療
患者さんがクリニックに足を運ばれる前の段階から徹底的に見直し、患者さんがクリニックに入られてからの時間が「受付手続き」「診察」「診察の後の処置(治療)」「会計」以外の時間を限りなくゼロにするように努力しています。そのためのツールとして、電子カルテ、インカム、デジタルレントゲンなど導入しています。
みやはら耳鼻咽喉科のホームページにようこそ!
当院のことや診察にあたる私のことを知っていただければと思い、文章を作りました。
大した内容ではありませんが、診察を受けられる前に、こちらも参考にしていたたければ嬉しいです。
なぜドクターになったのか?

小学生の頃、兄弟と東京の公園にて
「両親が医者で」という訳ではなかったのですが、
実は私の母方の叔父耳鼻咽喉科のドクターで、
現在も岡山市内で診療をおこなっています。
私は東京で育ったのですが、幼少の頃、しょっちゅう母方の生家(つまり岡山です)に帰り、叔父の仕事を間近で見ていました。
叔父は子どもがいなかった為、私を自分の子どものように可愛がってくれ、
よく海にも連れていってもらいました。
ですから
「叔父の働いている姿を見ているうちに自然とイメージが湧いた」
というのが答えになるでしょうか?
小学校の卒業文集には「叔父のような医者になりたい」と書いていたのを最近思い出し、
懐かしい気持ちになりました。
世界を放浪した学生時代、そして耳鼻科医へ

高校入学時です。高校時代は紀行本や小説を読み漁りました。
高知医大に入学後、部活では剣道にのめりこみ、
家庭教師でアルバイトをしながら、バックパッカーをしていました。
大学2年の夏休みにホームステイをして以来、海外旅行に目覚めてからは、
カナダ、アメリカ、韓国、タイ、トルコ、ドイツ、ギリシャ、モロッコ、ケニア、アラブ首長国連邦、オーストラリア、ニュージーランドなどなど・・・世界各地をバックパック一つの安旅行でまわりました。
大学での臨床実習に入った頃からどの科目(耳鼻咽喉科や内科、外科など)の
ドクターになろうかを考えた時に、やはり耳鼻咽喉科以外のイメージが持てなかったのです。
これもやはり叔父の影響が大きかったのかもしれません。
自然と耳鼻咽喉科に進んでいる自分がいました。
後から振り返ってみると、その時の選択はどうやら正解だったと現在では思っています。
私自身、子どもが好きなんです。
ですから子どもが患者さんとして来院される割合の多い耳鼻咽喉科は、
私に合っているような気がします。
子どもを診察していると、自分の子どもの小さい頃をみているようで、
ダブるというか、なんだかとても懐かしい気持ちになれるのです。
もちろんその子の病気を何とか治してあげないといけませんが・・。
私の娘も保育園に行っていた頃は、
鼓膜切開(中耳炎の際に鼓膜にほんの少し穴を開けて貯留液を外に出したり、熱を下げる治療)を何回も行った経験があります。
…余談ですが、やはり集団保育というのは常に誰かが鼻を垂らしている状態ですから、中耳炎にかかりやすいのは止むを得ないところです。(実際に私の子どももそうでした。)
そんな中で、私の数少ない自慢は保育園に通われているお子さん、
そしてその親御さん方が保育園に通園する前に医院で
治療を受けてもらう体制を整える(お待たせしない)ことによって、
中耳炎などの発症を抑え、
また、発症したとしても最小限の症状におさえることができるようになったと思います。
このことによって、
お子さん方はもちろんの親御さんのQOL(生活の質)の向上にもつながり、
現在のお待たせしない体制を整えた事は本当によかったと思っています。
多くのことを学んだ勤務医時代

まだまだ医師として初々しい頃の1枚です。
研修を高知大で受け、2年目には足摺(あしずり)岬の病院に赴任しました。
まだドクターとしての経験もない、新米のドクターであったにも関わらず耳鼻咽喉科のドクターはなんと私一人・・・。最寄りの耳鼻咽喉科の先生の所まで100km!もかかるため、重症の患者さんが来たらどうしよう・・、という恐怖感との隣り合わせの日々でした。
ただ、その環境が私にドクターとしての度胸を付けさせてくれたのかもしれません。
そして他科の先生方と寝食を共にしながらの楽しむときは楽しむ、仕事をやるときは気合を入れてやる、というメリハリのある生活が当時はとてもやりがいを感じました。
病院の性格から、短期間で様々なドクターが入れ替わり、
様々な先生方と交流を深める中で、
自分自身のドクターとしてのスタンスが定まった、
と言ってもいいかもしれません。
最近診療にあたって気になっていること
インターネットの普及により、情報の広がる速度、深さが桁違いに速くなりました。
ですから、相手のニーズをしっかりと捉えた治療を行う必要があると感じています。
「のんべんだらり」とした診療は、これからは難しくなってきているのではないでしょうか?
医院を開設して、「病院」、というよりも、「自分自身」をたよりにして来院してくれているのは、病院の勤務時代にはない、緊張感と充実感を常に自分に与えてくれます。
何気ない一言が、とても患者さんの安心に繋がっているのをみると、
逆にこちらが驚かされるケースがあります。
そのような事があるたびに、患者さんの病気を診るのではなく、
人を診る大切さを病院での勤務時代以上に思い知らされます。
医療としてのサービスを重視する理由

接遇を確認する朝礼は、当院の欠かせない日課です。
私自身が以前に受診していた耳鼻咽喉科があるのですが(花粉症で通院しました)、
鼻の処置はかなり鼻に刺激になるのですが、くしゃみをすると嫌そうな顔をされたことがあります。
大学浪人の頃、耳が痛くて耳鼻咽喉科に行くと、「うわ、耳垢が沢山あって汚いなあ〜」という人を傷つけるような言葉をこれまでのいわゆる「お医者様」は平気で使ってしまう傾向にあります。
ドクターの発した言葉というものは通常の方の発言よりも重く、
患者さんを時には安心させ、
時には傷つけてしまうものである、
というのが私の考えです。
だからこそ、自分の医院に来てもらった時には
「ここに来てよかった」
「このドクターに治療してもらえるのなら頑張って治そう」
と思ってもらえる医院を作りたかったのです。
ですから、ほんの10年前までは病院や医院では、
どちらかと云えばタブーとされるような「サービス(接遇)の概念」を
採りいれた医院を創ろうと考えました。
もちろん媚びへつらうことは致しません。
他の患者さんもいる中で、お互いにルールを守り、
患者さんとお互いを尊重しあえる環境をこれからも築いてゆきたいと思います。
診療の際のこだわり、これだけは譲れない点

お困りごとがあれば、ちょっとしたことでもご相談ください
自分のポリシー(道徳心)に反しない治療をする。
自分や自分の家族に受けさせたい診療をしたい。
いい意味でのプロとしてやっている人は少ないと思います。
メジャーリーガーは試合に照準を合わせて、その試合に最高のパフォーマンスを出せるような準備をしているといいます。
私もそのような、患者さんと向き合っている時は自分自身が行える最高の治療を行える、いい意味での「プロフェッショナル」になりたい、そう思っています。
メジャーリーガーとは比べものにならず、
岡山市内のちょっと不便な場所で診療を行っていますが、
その気持ちだけはしっかりと持った上で、診療を行ってゆきたいと思っています。
どうぞこれから宜しくお願い致します。
医師略歴
院長:宮原 孝和(みやはら たかかず)
1967年生まれ
1993年 高知医科大学医学部卒業
1993年 高知医科大学医学部附属病院 研修医
1994年 いなん病院 医員
1995年 高知市立市民病院 医員
1996年 岡山済生会総合病院 医員
2005年 同 医長
2006年 みやはら耳鼻咽喉科を開設
免許及び資格
1993年 医師免許 取得
1998年 日本耳鼻咽喉科学会専門医